月別アーカイブ: 3月 2008

>Dr. Jonathan (Jack) Rodnick 氏を偲ぶ

>何気なく診療の合間に,今日届いたWONCA News(17ページ)を見て,思わず「あっ」と声を上げてしまった.

日本にも関わりの深い米国の家庭医,Jonathan (Jack) Rodnick, MD 氏の訃報である.

昨年の米国独立記念日に65歳の誕生日を迎えた後,今年の1/26にハワイで休暇中になくなったとのことです.
奥様とジョギング中に突然倒れてそのまま,ということでした.

1973年に家庭医療のレジデンシーを修了ということですから,ほぼ第1期生です.(GIMからの転向組と勘違いしていました)

1987-88 STFMのプレジデント
1988-2005まで17年間UCSFのDept Chair
2007にはSTFMの代表としてWONCAに参加

日本との関わりは,
第11 回日本総合診療医学会 2003 年3 月1 日(土)・2 日(日)北海道大学
特別講演「世界のプライマリ・ケア教育の現状と課題」

Kyoto WONCAでも基調講演をされていました.

また,彼が執筆したほんの翻訳に我らの仲間が関わっています.

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第2章 よくみられる症候

 2.4 咳嗽
  Jonathan E.Rodnick and James K.Gude/松田 諭訳

もちろんこのほかにもたくさんあると思います.

個人的に彼との関わりは二つ.

彼がSTFMの代表として参加した昨年のWONCA (Singapore)の懇親会でゆっくり話が出来たこと.日本での医療の形を詳しく知るようになって,家庭医の確立されていない日本での健康レベルの高さ(プライマリケアパラドックスと個人的に呼んでいます)を説明するには,健康度と実際の医療従事者と患者の接触時間の総計が関係しているのではないか,ということを話されていました.個人的に賛同できる意見です.一回の診察時間は大変短いですが(実は諸外国とそれほど変わらないのですが)平均受診回数はかなり多いので総計は圧倒的になるのではと思われます.
証明が難しいですがやりがいのある研究の種です.

もう一つは,彼がずっとFamily Medicineという雑誌のInternational Family Medicine Education column. という連載のsection editorをされていて,世界の家庭医の教育に関する話題をずっと取り上げていたのですが,fellowの時に彼とメールのやりとりをして,今日本の家庭医療がダイナミックに動いていて,大変面白いので,ぜひ日本の話題を投稿して,といわれていたのですが,私のひどい筆無精で,約束を果たすことが出来ませんでした.

最新号のこのセクションでは彼に対しての一言が添えられています.

The abstracts published in this issue and the April issue of Family Medicine were the last he wrote before he died. We will miss you, Jack.

We will miss you, Jack という言葉にやり場のない寂しさを感じます.

3/2にサンフランシスコでお別れの会と基金が設立されたようです.
Memorial for Dr. Jack Rodnick: UPDATED LOCATION

きちんとお話ししたのはたった1回でしたが,とっても気さくで,話しやすい方でした.

世界中の家庭医療の動向をずっと気にされ,日本のことも気にかけてくださっていたRodnick先生に恥ずかしくないように,この世で出来ることを頑張っていくしかない.

前から感じていることなんだけれど,人の訃報を聞いてあわてて最後のお別れにと,告別式に出向いていくのは不要とは思わないが,やっぱりそこで,それまでの不義理を精算するように「最後ぐらいは」と行くのではなく,生きている間に,できるだけ,会いに行く,手紙や電話のやりとりをする.そんな方がずっとお互いの良い冥土のみやげになると.

「今できることを精一杯」

忙しくて時間がないからこそ,そういったやりとりの時間を作ることが,相手を尊重していることのメッセージになると信じて,出来る限りのことをするようにしている.

たくさんの人からのお願いや,約束が果たせないまま,不義理を重ねている最近の自分に,何とも言えない不全感がある今日この頃.身の丈にあった仕事と生活をして,一つ一つの仕事,生活に責任を持って確実に句読点を打つ,そんな毎日が送れるといいね,と最近伴侶と話していた矢先の訃報でまたそんな思いを新たにしました.

そういえば彼岸で実家に帰ったとき級友に連絡をとるのをめんどくさいとさぼってしまった.

過ぎたるは及ばざるがごとし

どうしても忘れずに書き留めておきたかった言葉

読売新聞3月4日付 編集手帳より

伊達政宗の壁書(家法)より、「仁過ぐれば弱くなる/義過ぐれば固くなる/礼過ぐれば諂(へつらい)となる/智過ぐれば嘘をつく/信過ぐれば損をす」

(引用ここまで)
捕鯨船が動物保護団体に攻撃を受けたことについてこの言葉を引用しての文章

まとめの部分。

だが、おのが「義」を貫くためならば、違法行為を含むあらゆる手段が正当化される——そう信じているとすればテロリストと変わらない◆壁書が教えるように、「仁過ぐれば弱くなる」。彼らもいずれは日本の主張を理解してくれようから、ここは穏便に…と、過剰な「仁」は禁物だろう。
(引用ここまで)

ここまで書きながら、よく似た文章を思い出した。

夏目漱石の「草枕」有名な冒頭部分

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

この続きを初めて読んだ。

住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故(ゆえ)に尊(たっ)とい。

(引用ここまで)
人の世は住みにくいけれど、逃げる所もないので、少しでも住みやすくしよう。その仕事をするのは芸術家である。

こんな流れだったとは。やっぱり芸術だよな。

冒頭分の解釈はこちら

岩波全集版の注解を見ると、次のようにあります。

智・情・意地は知・情・意の三分方に従うもの。『文芸の哲学的基礎』の中で、〔漱石は〕「精神作用を知、情、意の三に区別します」と述べている。順に intellect, feeling, will に当たる。『文学論』では feeling を「情緒」としているが、井上哲次郎他編『哲学字彙』(明治十四年初版)では「感応」をあて、第三版(明治四十五年)になって「感応、感触、感情」とし、「情緒」は emotion の訳語にあてている。

 なるほど、単に漫然と句を並べているのではなく、「知・情・意」の3つを踏まえているのですね。
それはいいんですが、では、この一節をもっと簡単に言えばどういうことなのか、やはり納得がゆかない。
そこで、この部分を飛ばして先に行く。「情に棹させば流される」の「棹さす」は、よく「流れに逆らう」と誤解されますが、正しくは「棹を水底につきさして舟を進める」で、つまりここは「感情の方面に(感情にまかせて)突き進む」という意味でしょう。次の「意地を通せば窮屈だ」はそのままで説明不要でしょう。
とすれば、「智に働けば角が立つ」も、続く部分に対応するはずです。さしずめ「理詰めの方向に突き進んでゆくと、他人と摩擦を起こす」ということではないでしょうか。

(引用ここまで。太字、イタリック岡田による。)

本題に戻るが、何事も「中庸」「ええあんばい」「ええかげん」が一番。これが一番難しい。一昨日の診療はちょっと不足気味だった。

「過不足ない診療」

去年ぐらいまでのteachingの際の口癖。最近言わなくなったなあ。

不足していないか、行き過ぎていないか。確認しながらひとつひとつ。

(ぱっと書けたのですが、引用ばっかり)