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Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 その後

家庭医はinterface(接触面)を扱う仕事という発言を時々しています。

当直明けや勤務交代での申し送り(hand off)でよく、情報のもれや勘違いが生じ、医療の質低下の原因となることが最近研究のテーマとしてもよく取り上げられています。

当然,医師の間での紹介、逆紹介のときにも同じ事は起こりえます。紹介状の書き方などが重要です。その問題を少なくするひとつの方法論として Integrated Healthcare Network:IHNという方法が模索されているのは以前のエントリーで紹介しました。

大病院が力のあるプライマリケア部門をその内部に持つ事の利点、欠点について一年ほど前にまとめさせて頂きました。

ほぼ一年前のエントリー

2008/10/06  Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題

2008/09/22    日経産業新聞フォーラム2008

の本文、そろそろ解禁です。

Integrated Healthcare Networkにおける家庭医療クリニックの貢献とこれからの課題 【家庭医療クリニックと病院の連携例:亀田ファミリークリニック館山】 病院 特集「病院と家庭医療」 Vol…. http://d1.scribdassets.com/ScribdViewer.swf?document_id=20418743&access_key=key-28gsphyfqpsqc4rvotvt&page=1&version=1&viewMode=list

Lynn Carmichaelの死亡記事から米国家庭医療の歴史をひもとく

歴史をひもとくのは懐古趣味だからではありません。歴史は勝者によって記されたものである(勝てば官軍)という事はありますが、それでも、予想する事のできない未来に対して最善の決断をするための重要な示唆が得られるからです。
また、継続性を大切にし、Contextを重要視する診療をする家庭医として、現在の自分や家庭医療という学問の立ち位置が大きな歴史的な流れという継続性の延長線上、現在どのようなcontextの中であるのか、という視点を踏まえて考える,というのはごく自然な流れでもあります。

最新号のFamily Medicine誌より。

John Frey, MD.  “Who Is Going to Take Care of the People?” Lynn Carmichael and His Times (Fam Med 2009;41(8):552-4.)(pdfです)

今は米国の家庭医すらLynn Carmichaelの事を知る人は少ないでしょう。私がFaculty Developmentの話をするときに必ず「予言」を引用する人です。

1967年 Lynn Carmichael「この新しい分野はすぐに教師に対し ての切実な,増大する必要性に直面する事になる.現実的には全ての教師が臨床からひっぱりこまれ,教育の経験のあるものはほとんどいないだろう」

米国の家庭医療の誕生は1969年です。その数年前に、この分野の急成長を予測しての発言です。最近の日本のgeneralistの指導医不足の状況とよく似ています。

彼がどういう人か。

北米家庭医療の創始者の一人。STFM(Society of Teachers of Family Medicine)の発起人。雑誌Family Medicineの最初の編集長。北米の家庭医の最初のレジデンシートレーニングの設立者。しかもそれらの仕事を35歳から40歳の間にやった。というとそのすごさと重要性が伝わるかと思います。

Founding President Lynn Carmichael, MD, died on June 19 at age 80

今年6月に彼が天に召されたということで、やはり北米家庭医療の創始者の一人であるJohn Freyが彼を忍んで当時の状況とともにまとめた追悼文が先述のリンクです。

まずは,当時の米国と米国家庭医療の状況に関する記述を彼の生涯と絡めて抜き書きしてみましょう。

*1960年代 テクノロジーと専門分化の波の中でGP(General Practitioner:現在の英国などでの他の専門分野と同程度のトレーニングを受けたgeneralistという意味ではなく、短期間のインターンシップ的なものだけで、開業してしまう人たちをそう呼んでいた)達の中で意見が割れていた(このまま幅広く診ることをつづけるか、それぞれが専門を持つか)

*当時のGPの団体AAGP(American Academy of General Practice)は1971年に最終的に家庭医療という専門としてやっていこうという決議にこぎ着けるまで1961年からの10年で6回この動議を否決している。(そういう意味では,日本の3学会の合併はましな方でしょうか)

*1年間ハーバードの小児科講座でフェローとしてFamily Careについて学んだその仕上げとして、1965年に彼が米国の歴史では初めて家庭医の育成に関する論文を発表(ちなみにJAMAに発表.日本では日本医師会雑誌に相当)

*AMA(American Medical Association: 日本医師会に相当)が市民団体を助成し卒後教育に関する報告書の提出に至る.(この報告書はMillis reportと呼ばれ、家庭医療の設立に重要な役割を果たした当時の3つの報告書(Millis, Willard, Folsom)のうちのひとつ。
“Primary Physician”というのを養成しましょう。というのが骨子。全文は以下で。ありがたい事です。
Mills report on Citizens Commission Graduate Education

*AMAはこの時期に,医学教育に関する委員会にこの報告書の内容をふまえたレジデンシー改革を周知徹底するためにだれかを採用するよう依頼、彼とLee Blanchard(彼も北米家庭医療の歴史では重要人物です)がその仕事を任せられ,全米中を奔走。

*レジデンシープログラムとして家庭医療が認められるためには最低15のプログラムが必要という事で、自分自身がひとつを設立。

*当時はプログラム認定基準も国の補助金も大学の家庭医療学講座もなく、当時なんとなく実施されていた2年間のGPレジデンシーを借用、内科や小児科と同レベルにするために一年追加して3年にした。そして,最も改革的だったのは研修の現場を地域に設定した。そしてその研修サイトを’model family practice clinic’と呼んだ。
(この辺りはプログラム認定の前で認定基準のなかった頃からレジデンシーを運営していた頃の自分やそのずっと前から、先進的に教育診療所として奈義ファミリークリニックを作った川崎医科大学総合診療科のこととかぶります)

*1968年の12月ぎりぎりに15のプログラムをなんとか確保。AMAが家庭医療の卒後研修を開始する事を承認。

*同時期に、AMAにいた同僚から、学問として家庭医療を追求する団体を設立する事を考慮するようアドバイスを受け、1967年の10月に45名がニューヨークに集まり、STFMを設立。命名はLynn Carmichael。

*家庭医療の理論形成と組織形成のこの過程で、多くの他職種(教育者、精神科医、ソーシャルワークなど)を巻き込んだ。彼の設立したレジデンシーの指導者はこれらの多職種で構成されていた。

*他職種が必要だという信念からSTFMは当時はほとんどの団体が医師のみの団体だったにもかかわらず、意図的に学生やレジデントの教育に関わった人間を全てメンバーとするようにした。

*当時、家庭医の育成のリーダーとなったのはほぼ全員が30代半ばから40代半ばだった。

*1968年からほぼ40年で合計90385名の家庭医がレジデンシーを修了した。

今これらの史実から我々が学べる事は何でしょうか。(あえて書きません)

もちろんこのarticleには彼の人柄が垣間見えるエピソードがいくつもちりばめられており、当時の医師像とは一線を画する飾らない、威張らない、聞き役に徹する、しかし信念は譲らない人である事が伝わってきます。

若いエネルギーは家庭医療学会にあります。しかし多職種でなければならない,という信念はプライマリケア学会に一日の長があります。
米国の家庭医療創設はアメリカ医師会(AMA)なしには起こりえませんでしたが、日本医師会は40年後に「日本の家庭医療の確立は日本医師会なしには不可能だった」といわれるか、「日本の家庭医療の確立は日本医師会の少なくとも2度の妨害行為にもかかわらず日本プライマリ・ケア連合学会と市民によって達成された」となるか。

今月号のFamily Medicine誌はもうひとつ興味深い投稿がありましたので追って。